6月になってしまいました。

こんなにご無沙汰するはずじゃなかったんだけどな…と思いながら、久々にブログのダッシュボードを開いて、フォントはこんな風に表示されるんだったかなぁなんて思っているところでございます。
ゴールデンウィークを思いのままに征して、意気揚々と…!なんて日々を綴るつもりが存分にあった一つ前の投稿のあたり。
GWはそれなりに過ごしたのに、自分の中の行動ベクトルが分散できずとはいえ、どっかに全てを集約させるほど注力していたはずもないのに、口癖の一つでもある「めんどくさい」が出てしまいました。
英語はしぼみつつも続けています。
でも、1/16からたとえ5分といえども休まず続けていたものを、5月下旬に3日連続で完オフしてしまった。オフとか言うと戦略的なお休みのように聞こえなくもないけど、違うよね。サボっちゃったわけです。
これはけっこう悔やんでいる。
ブログも、毎日書き続けていたところを1日休んだだけで、その後はどんだけ頻繁にサボるようになったことか。
そして、職場では、まだリモートと出社が半々くらいで続いております。
これについては感謝。この先いつまでリモートが残るのか、これが常に気がかりですが、こればかりは祈るほかない。
問題は、飲み会等が完全復活な上に、これまでの自粛を払拭せんとばかりに会社からの補助まで出ての推奨方向な空気感です。
単なる風邪にしろインフルエンザにしろ、空気感染飛沫感染がありえるあらゆる疾病対して、コロナ禍での対策は役に立つんだろうからさ、一生懸命パーテーションを外したりとか、しなくてもいいんじゃないの?って思うんだよなぁ。
全部一度に?なぜ?段階的にでいいじゃん?コロナは消えてはいないんだし。
正直言って普通に風邪ひいて咳しまくってるやつに対しては、欲しいのよパーテーション。
顎までおろしてるそのマスクをずり上げて口と鼻を塞いでくれよって心から思う。
ただの風邪ならいいよね、みたいなのないから。
誰かの飛沫が自分の体内に取り込まれて病が感染るっていうのは、その状況を考えただけでも、潔癖でなくたってちょっとしたホラーだから。
いや、実は知ってた、うすうす分かってはいた事実を、コロナ禍はスーパーコンピューターを駆使して飛沫の飛び散り方を解説してくれた。
知ってたんだそれ、とか思いながら、いやーな気分になったよ。
忘年会定番の鍋コースだって、直箸禁止なんて最初だけでなあなあになるから、最初にてんこ盛りして以降は手をつけなかったもの。
そういう感覚的だったものが、視覚や情報科学として証明され続けたこの期間で、避けられるものは避けたいのだと、自分としてはつくづく確信を持った。
次なる闘いが始まった。
そんな感覚が芽生えた5月なのでした。
久々の更新で、こんな話ってないわ、と思いつつ
毎日更新、がんばろー。

