ペトルーニャに祝福を@映画鑑賞
私の、登録ワード、クロアチアに引っかかって自動録画されたと思われる、『ペトルーニャに祝福を』。
これも、3回くらい録画されてたから、とっとと観ておかないとないとなぁ…って急かされていた。
原題:GOSPOD POSTOI, IMETO I' E PETRUNIJA/GOD EXISTS, HER NAME IS PETRUNYA
2019年 北マケドニア
北マケドニア映画なのになんで?って思ったけど、クレジット見てると時折クロアチアの音響会社とかが使われているようで、映画製作サイドにはクロアチア勢もいるようです。
マケドニア、私がギリシャに行った25歳くらいのころ、独立運動していたあの国。ギリシャと国境を接しているんだよね、ギリシャ神話に出てくるものね。
ネーネーと答える部分がおそらくギリシャ語と同じ(ギリシャ語は、yes/no が ネー/オーヒ)なのかななんて思ったりしながら、なかなかストーリーに入り込めなかった。
画面に広がるのは、灰色の空、人々の無に近いような表情。「豊かではないけど幸せ」そういう人たちの映画でもなかった。
フェミニズムを描きたいのかと思ったけど、それにしたらリポーターの女性の存在の薄さよ。薄いからこそリアリティがある、と言えるかもしれないけれど。抑圧された女性たちの姿は、こうした働く女性であったり、人目を気にして娘にちゃんとして欲しい母親、女工たちからも垣間見えた。
さて、公式サイトを見れば、この映画の中のエピソード、川に投げ込んだ十字架を誰が取るかという、福男みたいな女人禁制の行事で、十字架を獲った女性がひどい扱いを受けた事件は、かつて実際にあった出来事だそう。
家父長制、古い伝統にしがみつく田舎の町の小さな神聖な行事での女性の小さな反抗。だけど、わめいているのは、行事に参加して、十字架を女に取られたことに怒り心頭な男たちだけ。
町でインタビューをしてみても、「もっと報道すべきことがあるだろう」とか最もなことをみんな言う。どうでもいいと思っている。だけど川に飛び込んだ男たちと、そんな事件に振り回される羽目になっている警察たちだけが、事件を無視できないでいる。
都会から来たリポーターは、女性軽視だとか男尊女卑をテーマとして事件を掘り下げようとしているけれど、ペトルーニャにすら、その感覚があるかは謎。
そんな町の裕福とは思えない家の一人娘と思われるペトルーニャは、大学で歴史を専攻していた。母親の雰囲気から、娘を大学に行かせてくれる気がしなかった。
女性軽視とか蔑視があっても、欧米では「女は愛嬌、学は不要」…的な発想はないのだろうか。
不思議な話だった。
ワクチンの副反応で身体中が痛い中で観るのに相応しかったかは謎だけど、鑑賞しました。久しぶりに、たくさん考えまくった。
そう、私は圧倒的に外国映画を好む。知らない世界を知ることができるからなんだなぁと、改めて感じ入った。映画を観たという気持ちになりました。

