すでに更新の術を忘れていた。

お久しぶり。
とは言え、このブログを、今更かつて見ていてくれていた人が訪れるなんてことはないに違いないと思ってはいる。
私は他の場所で他愛もない文字を散らしているわけではあるものの、書きやすくしたいが為にジャンルを絞っていったら、書けなくなるという皮肉。そう言えば、ここはいろんなことをぶつぶつと記していたなとか懐かしく思ったりしたわけで、やっぱり失いたくない、いわば裏垢みたいな場所だということに気づいたわけ。
最後の更新の頃、今のような状況を誰かが想像していたかしら、って、振り返る度に思う日々を重ねて、2020年は、失われた時について思い返すことが多いわけなのだけど、私の都合で勝手に言わせていただくと、コロナは本当に実に不愉快というか困りまくりなものの、プラスに働いた側面もある事実は否めないって感じなの。
2020年は、古希を迎えるのは大好きなイギリスがいい!って、それはそれは本当に強く、我が母が、一体いつから言っていたかしらねというくらい前から宣言しまくるから、母娘でイングランド・スコットランドそして最後にちょっとパリ、みたいな旅行を2年ほど前からぼんやりと計画して、去年末くらいから徐々にルートを話したりとかね、それはそれは楽しみに過ごしていたの。
私はスコットランドで蒸留所もいくんだと、現地の日帰りツアーをチェックしたり、本場の蒸留所に行く前に日本の蒸留所でしっかり学んでおこうと白州蒸留所のツアーを予約したり(それは父との予定であった)どれだけ期待値膨らませてきたんだっていうのが、はたから見てもあからさますぎて恥ずかしいくらいだったと思うのよ。
不穏な空気が流れ始めたのは2月下旬。3月頃は、こんな感じで行けるかしらね、とか言いつつそんなことサラサラ思っていないからこその軽口レベルだったと記憶しているけれど、4月には会社の状況が一変。私もリモートワークがメインとなる自体に突入。
そのあとの具体的な話は想像に易しと思うから省くけれど、我が家に起きた特殊な事件、父の食道癌が発覚したこと。
告げられたのが一体いつだったか…。
現在、入院真っ只中の父。抗がん剤治療のため、7月から3回の入院を経て9月は手術からの丸ごと入院。
これね、冷たいとか言われるかもしれないけど、コロナ禍で、お見舞い・付き添いは限定一名、お見舞いは原則週一回、そんなお触が病院側から下されたことで、介護する側の家族の負担がどのくらい減るかっていう話です。
昔と違って、直接顔会わせなくても会話ができちゃう今日この頃ですからね。それでも、母は週1+αで病院通いだけどさ。
もしもコロナが世間をじわじわざわざわさせていなかったら、4月頃にはもう飛行機とかホテルとか予約し始めていたと思うわけよ。でも、そうはいかなかった。そのタイミングで父の病が明るみに。
オリンピックが中止になるような世情に、のんきに観光旅行は無理だし、それ以前に病床の父を放置して旅行などできるはずもない。泣く泣くキャンセル?結構キャンセル料も取らない格安の宿泊プランとか使いがちな私たちは、そうであったなら、どれだけ損害を受けていたことかと思ったりするのです。
それでも、伝染病など流行るのにいいことなんてないんだけどさ、私たちがちょっくら損するだけで済むなら本当にその方が断然いいんだけどね、それは本当によーくわかってる。
だけど、ままならないからこそ、こじつけたいじゃない。良い側面だってあったよって。
来年だって、旅行はもう無理。
父は結構な確率で寝たきりに近い状態になってしまいそうで、母はあんなに行きたがっていた旅行は、父が生きているうちは無理だと腹を括ったようで。だからって、母だって古希を迎えるの。あと2ヶ月程でね。腎臓病も抱えていて、癌というインパクトある分かりやすい自体ではないものの、そんな体で70歳だからね。
どうなるんかなって、漠然と思う日々を過ごしている私は、失われた2020とか言いつつ、こんなに色々考えたことあるかっていう2020でもあるわけで、そう言っている私だって、明日交通事故にあったり、同居人のようなこともあるから、本当に何が起こっても不思議はないんだって、まぁそんなこんなをぐるぐるぐるぐる考えるのです。
願わくば、母はちゃんとイギリス旅行を堪能できて、
父だって連れて行きたい、父が教えてくれたウイスキーから始まった、私の大好きな蒸留所と、私たちの大好きなイタリアへ。
まずはワクチンが完成して、しっかりと父が退院して体力を取り戻して、そしてコロナも落ち着いて…。来年は難しそうだけど、再来年には、両親と一緒に異国の地を巡れていれば、例えば孫の顔は諦めてもらう娘にとってのせめてもの親孝行にはなるんじゃないかなと、思うのよね。

