吐き出さないとおかしくなりそう。
"知らせたいことがあるので、帰宅後メールください"
帰宅して、少しして、そんなメールを受け取った。
瞬時にもたげた嫌な予感は的中した。
メールは、高校時代の朋から。 当時、仲良しグループというか、部活仲間というか、クラスメイトだったときもそうでなくなったときも、試験最終日には必ず集まって、もんじゃ屋+カラオケで打ち上げをした仲間。
その仲間のひとりが、癌で逝ってしまった。
正確には、逝ってしまっていた。 その報せだった。
平成の内に会おうよと、幹事をかって出てくれ、皆に連絡を取り続け、 だからこそ、辛い事実をひとり受け留めなければならなくなった彼女に、まずは計画を立ち上げてくれたことへの感謝と労いを。
そして、悲しい報せをひとりで受け留め、我々ひとりひとりにそれを伝える役目を負わざるを得なくなったこと。
しかし、彼女だったからこそ出来たに違いなく、心からの敬意と改めての感謝を。
そばにいられずにごめん。
既に年賀状のやりとりだけになってしまったMちゃんだったけれど、
毎年元旦には届いていたと記憶している彼女からの年賀状が、今年はなくて、あれ?とは思っていたが、1/4には届いた。
いつもお子さんたちの写真とそこにあったりなかったりの彼女の写真。
それが今年の年賀状はキャラクターのプリントのみだったから、葉書を宛名に返すまで、Mちゃんからだと気付かなかった。
それでも、高校の頃と何ら変わらない力強い筆致で「今年もよろしく」の文字に、Mちゃんからのものだと分かって、最初に感じたような気がする違和感なんて、今思えばのこじつけなんだろうと言えるくらい、ささっと消えてしまった。
この年賀状は、病院で書いていたのか。
私が年賀状を受け取った月に、Mちゃんは帰らぬ人となったそうだ。
去年の年賀状にも、Mちゃんの写真はなかったが、お子さんの写真の横に、やっと幼稚園、と書かれている。
どんなにか、思い残すことがあったろう。
自分の同級生が、、不惑は迎えたがはやり早い。
だが、今回が初めてではない…。いずれも癌。
30代半ば、中学の時の同級生が、発覚から半年足らずで逝ったことも数か月後に知らされたことがある。
あのときも、報せてくれた朋となんとも言えない無言の時間を過ごした。
変わった姿を見られたくないといったMちゃんの意向から、 文字だけの「会えたらいいね」のノリで日々は過ぎていったのかな。
思わず、文字だけで最近顔を見れていない友人にメールをした。
元気なようでほっとしたが、悠長なことを言っていないで、会いたい相手には会わないといけないと、Mちゃんが教えてくれているのだと思う。
報せを読んだ後、習慣のようにテレビを点けたら、Eテレで少年アシベがやっていた。
ゴマちゃんの絵とか、Mちゃんよく描いていた。
そう、ゴマちゃんみたいなところのあるコだった。懐かしい。
患っている父に、もっと優しくしよう、顔を見せよう…と思った。
誰かがいなくなるのは、決まって冬。
やはり、嫌いだ、冬なんて。
東京は満開になったよ、Mちゃん。
お子さんたちの近くで、花見してるんだろうな。

