あれから12年
あれから12年ってことは、あの年、卯年だったの?!と、年女の私は驚いたのでございます。
この日は、被災地の方々は当然のことですが、あの日の日本にいた人たちはきっとみな、それぞれの記憶が、忘れ難いものとして留まっているはず。
私は風邪を引いていて会社を早退して家にいた。逃げ道を確保するために窓を開けたままニュースを見ていて、風邪を悪化させた。
職場ではやはり帰れず泊まり込んだ人たちが多数いたそうだし、友人は駅で夜を明かしたと言っていた。同居人ちゃんは、職場から4時間歩いて帰ってきた。
これからどうなるんだろうって、映像を見ながらずっと震えていた。
思い出します。
震災の翌日の土曜日。
当時フランス語を習っていた私。土曜のクラス。
その日は当然休講となった筈だけど、その後の原発の事故、フランス人をはじめとする在日外国人たちの退去、特にフランスはフランス軍が迎えに来るという、当時私には僅かだけれども関係があったから強烈に残っているのか、国の対応がどこよりも早かった気がする。
フランス語学校の講師たちも続々と帰国していったとか聞いているけど、私のクラスは日本人の先生で特に問題はなかった。
でも、私は出社のときもそうだったけど、続く余震に怯えながらの電車通勤がかなりの恐怖だった。
地下鉄で余震と出くわして止まると、地下というその環境から、息苦しさを覚える。このまま動かなかったら…、なんてことを都度考えてしまう。
電車が止まったり減ったりで、毎回ホームから落ちるんじゃないかと思うくらい人が溢れていたとか、3月11日に外出していた人が帰れなくなって駅の構内で夜を明かしたとか、そう言う話を聞くにつけて、出勤以外の外出ができなくなっていた。
そういう事実と、フランス語のクラスが徐々に難しくなっていくタイミングだったのもあって、2回ほどクラスを休んでしまってからはもう、行くことができなくなった。
2年ほど通い続けていたし、それなりに効果を感じていただけに、今思うと本当に悔やまれる。
続けていたら、ま、コロナ禍で語学学校ってどうなったんだろうかなぁなんて思いつつも、10年経ったらそれなりだったかもしれないよね。人生も変わっていたかも。
あれから、12年か…。
結局立ち止まったところから、何も育めていないような気がする。
来年の今日は、こんな気持ちにはならない。絶対ならない。